好意を持たれると逃げたくなるのは なぜか
好意を持たれた自分は誰なのか。
好意を持たれた自分が変わってしまったらどうなるか。
そもそもそれは本当の私なのか。
ただの仮面を被った私なのではないか。
本性を見破られたら嫌われるかもしれない。
これが、ガッカリされるのが怖い気持ちか?
ガッカリされるのが怖い気持ち。
これがわかっていない気がして、この2ヶ月考えてきた。
前よりも少しわかる部分が増えたような気がする。
期待されるのが怖いのか、本当の自分が見られていない気がして怖いのか。
それとも、別の怖さなのか。
私は、勝手に期待を抱かれるのがいやだ。その期待に応えられないのが心苦しい。
怖い、というのとは少しちがう気もするが、もしかしたらこれが怖いになることもあるのかもしれないとも思う。
期待に応えられなくなって、相手をガッカリさせてしまって、離れていかれてしまうのが怖いのだろうか。
勝手に期待を抱いている相手は、役を演じている私しか見えていなくて、私が役を演じきれなくなったとき、演じることに疲れてしまったとき、離れていくのだろうか。
それが怖いのだろうか。
私の中に昔からある、好意を持たれると逃げたくなる気持ち。
「逃げ出したくなる」という感覚は「怖い」に置き換えられるだろうか。
相手が自分のどんな部分に好意を持ってくれたのかわからなくて、怖い。
こんなところが好きだ、と言われても、それが自分では納得できない部分だと、少し怖い。
他人から見た自分の姿など、自分ではわからないものなのに、それがわからなくて、怖い。
本当はそんなことないんだ!と、否定してしまいたくなる。
これはダメな自分を表明したい気持ちなのかもしれない。
これは単純に、自信がない、ということなのだろうか。
「こんなところ」に納得できないというのは、相手からの評価を受け入れられないということで、それは、自分に自信がないからなのだろうか。
相手の提示してくれた「こんなところ」が、意図的に演出している部分だったら、明確に演じている部分だったら、本当の自分とは違うかもしれないという自覚があったら、もっと怖い。
いつかボロが出てしまうのではないか。いつか本性が暴かれてしまうのではないか。
そうして相手は離れていくのではないか。
こうしている間にも、私は騙し続けているのではないか。裏切っているのではないか。
だからこうして、不安な気持ちを、誰かに聞いて欲しくなるのだろうか。
今まさに、ダメな自分を表明しているところなのだろうか。
「本当の自分ではない」のではなく、ただ単純に「素の自分ではない」と考えることで、怖い気持ちは和らぐだろうか。
「こんなところ」が素の部分ではなくても、本当の自分の一部だと言えることは、安心につながるだろうか。否。それとこれとは別な気がしてしまう。
相手を信じられないから怖いのだろうか。
相手が何者かわからないうちは猫をかぶっている、という人を見かけることは、よくある。
丸腰の自分ではなく、何かを演じることは、自分を守ることにもなると言われたこともある。
誰かに自分を否定されたときに、それが「演じている自分」に過ぎなければ、自分の本体は否定されたことにはならない。
そうして、素の自分を見せないことで、本来の自分を否定されることを避け、深く傷ついてしまうリスクを回避するのだ。
けれど、誰かと心で交流したいのであれば、それが結局、自分の首を締めることになってしまう。
自分を否定されたら傷ついてしまうのだろうか。
ガッカリされて、離れていかれることは、自分を否定されることになるだろうか。
いつか離れていってしまうのなら、そうなる前に自分から離れてしまいたい。
これが、私の逃げ出したい気持ちなのかもしれない。
怖いから、逃げたくなるのか。
ダメな部分を晒して、相手を試したくなるのか。
開き直って、傷つかないことにしてしまおうとするのか。
逃げたくなる気持ちは、相手からの評価を受け入れることで、回避できるかもしれない。
試したくなる気持ちは、相手を信じることで、回避できるかもしれない。
人間誰しもダメな部分(自分から見たダメと他人から見たダメも一致しないとは思うけれど)があるものだと認識している人だ、と信じられれば、もしかしたらそんな部分も受け入れてもらえるかもしれないと思えて、少し安心かもしれない。試さなくても信じられる、ということが必要なのかもしれない。
そんなことでは傷つかない自分でいることが、今のところ、一番根本的な解決策のように思える。
けれど、そのやり方として「開き直る」というのは、納得できない。
開き直るという行為は、感情に蓋をする要素を含むのではないかと感じてしまうからだ。
蓋をしたものは、なくなったわけではなくて、いつか溢れてしまうのではないかと思ってしまうからだ。
受け入れることができたらいいなと思う。
自分を否定されても、傷つくのではなく、ただ受け入れられる自分であれたら、怖くなる必要もなくなりそうな気がする。
自分で自分を納得させることができれば、受け入れられるのだろうか。
開き直りではなく、納得。仕方がないことだと、自分を納得させることは、諦めることに似ているような気がするけど、何か違うのだろうか。
すべてを楽しめたらいいのだろうか。

