人を疑ってしまうのは なぜか
※これは、私のちょっとしたトラウマみたいな体験に関する、ただの覚書です。
トラウマを克服したい。
今現在、そのトラウマが自分に悪影響を与えていることに気付いたら、克服したい。
とくに悪影響が感じられなくても、暇つぶしに克服したい。
パズルみたいなもので、趣味みたいなものだ。
そこまで重大な悪影響を感じていないから、お気楽なだけかもしれないけれど。
私の中には、たぶんたくさんの小さなトラウマみたいなものがあって、それを一つずつ克服していくのが楽しい。
今回、頭の中の机に広げているのは、人間不信。
人を疑いがちで、なかなか信用できない。
あまりにも信用できないのは、日常生活に少々差し支えるので、これを解決したい。
私の場合の人間不信は、誰かの言っていることを信じられない、といった単純なものではなく、
発言に限らず、言動を通じてその人の人間性を疑ってしまう、みたいなもので、
裏があるのではないか、と考えすぎてしまうことだ。
本心を隠しているのではないか。
善良な言動に見えても、何か下心があって、何かを企んでいるのではないか。
そう考えすぎてしまうと、疲れる。
トラウマの克服方法は色々あると思うが、私がよく使うのは、そうなったきっかけ、原因を
徹底的に洗い出すことだ。
「インナーチャイルドの癒し」というものを見かけるようになってから、
試しに真似事をしてみるようになった。
※「インナーチャイルド」とは、「内なる子供」という意味で、自分の心の中にいる「子供時代の自分」を表す。
インナーチャイルドが傷ついたまま大人になると、生きづらさを感じることがあり、そのような大人をアダルトチルドレンという。インナーチャイルドの傷を癒したり、満たされなかった欲求を満たしたりすることで、今の自分が生きやすくなることがあるといわれている。
本当にこの手法に取り組みたい場合は、専門家の指導のもとで行うべきだが、
幸い、私はトラウマの原因となった「辛い体験」を思い出すことに抵抗がないので、
厳密にはやり方は違っているけれど、一部の手法を試してみているだけだ。
原因を明らかにして、
それはあくまでも特定の人間に限ったことで、その他大勢に当てはまるものではない、とか
それは人間の本質的な性質によるもので、仕方のないことだ、とか
頭で理解して、受け入れて、過去の体験と目の前にある物事を切り離すことができれば
克服に近付けることが多い。私の場合は。
人間不信になったということは、
単純に考えれば、何か人から裏切られたような経験があったのではないかと思う。
まあ、裏切られるなんてよくあることだけど。
たとえば、小学生の頃、仲の良い友達だと思っていた人たちから仲間外れにされたこととか。
たとえば、保育園の頃、人気のあった男の子が、自分が好意を寄せている女の子の近くにいるために、私を邪魔者扱いしたこととか。
友達から仲間外れにされたことは、解決済みだ。
あの頃の、私自身の言動にも問題があった。
興味の違いや学力の差を根拠に、彼女たちのことをちょっと馬鹿にしていた。
そりゃあ嫌われても仕方ない。
保育園の頃のアイツは、いまだに嫌いだ。大人になって、顔を合わせることもないけれど。
小さな保育園で、同じ歳の子供たちの親は、家族ぐるみの付き合いが今でもある。
だから、実家に帰ると、たまにアイツの名前が出ることがある。
人気者だったアイツ。
背が高く、スポーツができて、顔もいい(今どうなっているのかは知らないけれど、父親は甘いマスク(酔うと冗談で「俺の女にならないか」とか言ってきそうなタイプのクソ、最近奥さんに浮気がバレた)で母親も美人だから、どうせ今でもギラギラ系イケおじルートに乗っているはずだ)。
ただ、私は知っている。性格はクソだ。
自分が人気者であることを自覚して、周囲の人間が自分に好意的な感情を持ってくれることを自覚して、偉そうに、周囲を見下した振る舞いをする。
私がイケメン嫌いになったのは、たぶんアイツのせいだ。
まあ、あくまでも、保育園児の振る舞いだ。ちょっと言い過ぎだったかもしれない。
私には仲の良い女の子がいて、アイツはその子のことが好きだったらしい。
女の子の方も、まんざらではない感じ。何しろアイツは人気者だったから。
話が逸れたが、アイツは、私と仲が良かった女の子と一緒に遊びたくて、私に言ったのだ。
「オレが一緒にいるんだから邪魔しないで」
今思うと、邪魔した私もよくなかったと思う。空気を読め。
ただ、当時の私も園児だ。
たぶん、人が誰かと誰かを区別して、扱いに優劣をつけるところを、初めて真正面から突きつけられた出来事だったのではないかと思う。
友達は好意を持って優しく扱われているのに、私は邪魔者扱いされている。
人気者のアイツからお姫様扱いされている友達に、嫉妬したのかもしれない。
ちょっと可愛い。
よしよし。悔しかったね。でも大丈夫。自分のことは自分が大事にしてあげればいいんだから。
ん?そういうことじゃないって?
あ、もしかして、「誰かから特別扱いされている」というところが、羨ましかったのかな?
ちょっとわかるかも。自分だけが特別って、甘美だよね。特別な誰かになれたら、自己肯定感爆上がりって感じだよね。
でもそれって…自分が特別な何かになって誰かから特別扱いされるって考えると…
なぜか面白くなっちゃうんだよね。笑っちゃうの。
なんでだろうね?なんかね…人間ってみんな特別じゃん?って思っちゃって、笑いたくなっちゃうの。
愛する誰かから特別に愛される存在になれたら、それはとても素敵なことかもしれないね。
憧れてもいいんじゃない?
なかなかうまくいかなくて、悔しくて、また嫉妬することもあるかもしれないけど、それでも憧れてていいんじゃない?
あとさ、まずは自分が、特別に愛することのできる誰かを見つけて、心の底から愛することから始めてみてもいいかもね。
それってたぶんすごく難しいから、がんばってるうちにおばあちゃんになって、人生が終わるかも。
あれ?生涯をかけて取り組んだのが「誰かを心の底から愛すること」って、ちょっと素敵じゃない?
誰かから特別に愛されるより充実しそう…。いいじゃんいいじゃん。その方向でいってみよう。よしよし…
インナーチャイルドには優しく話しかけてあげるといいって、国家資格を持った正式なカウンセラーの文章に書いてあったので、試してみた。
すごい。解決した気がする。人生楽しくなってきた。
さて、問題はもう一つある。
アイツの裏の顔だ。
裏の顔というと大袈裟だが、人が誰かと誰かを区別して、扱いに優劣をつけるところを目の当たりにした私は、何かしらのショックを受けた可能性がある。
ショックとか、苛立ちとか。
大人たちから人気者扱いされているコイツは、好きな子の前でだけいい顔をして、不要な人間は邪魔者扱いしたりするのだ。
きっと、大人たちの前でも、いい顔をしているに違いない。みんなコイツに騙されている。
コイツの本性は、人気者のいい子なんかじゃない。
などと思ったのかもしれない。
ややこしい。一つずつ分解していきたいと思う。
まず、周囲の人間に対して優劣をつけて扱いを変えることは、必ずしも悪ではない。
邪険にされた側は気分が悪いだろうが、だからといって、その行動を直ちに責めることはできない。
好きな女の子と、興味のない子供に対する扱いが、同じになるわけがないのだ。
あの子は、アイツにとっての特別だったのだろうから、私が特別に憧れていたのだとしたら、なおさら文句を言えない。
つまりアイツは、別に何も悪いことはしていなかったということだ。解決してしまったかもしれない。
気を取り直して、もう一つ。
当時の私は、「いい子」であることを「人気者=好かれる人」の必須条件のように考えていたのではないだろうか。
周りの人間たちから好かれるために、いい子であろうとしていた可能性がある。なんてことだ。たぶんそうだ。
では、なぜ、いい子ではない一面を見て、苛立ちを感じたのだろう。
自分が大人たちの前で「いい子」であろうとしていることは棚に上げて、周囲の人間の目を欺いている、ということに、腹が立ったのかもしれない。
アイツのそういう面を見るのが初めてだったので、自分自身も「騙されていた」という感覚になったのかもしれない。
ここで、一つの思い出が蘇る。
幼い頃に読んでもらった、絵本の『にんぎょひめ』だ。
アンデルセンの原作を元に、子供向けに書き直されたもので、
私が知っているのは、1989年に永岡出版から発売された『にんぎょひめ 名作アニメ絵本シリーズ8』だ。
15歳の誕生日を迎え、初めて海の上に出たにんぎょひめは、船の上の王子さまに目を奪われる。
見惚れているうちに、嵐がやってきて、船が壊れ、王子さまは海に投げ出されてしまう。
にんぎょひめは、王子さまを助けて、浜辺へ。
するとそこに、美しい娘がやって来る。
にんぎょひめが岩影に隠れていると、王子さまは目を覚まして、美しい娘の手を取ってこう言うのだ。
「あなたが私を助けてくれたのですね」
それを見たにんぎょひめは、心の中で思う。
「ちがう!私が助けたの!」
王子さまに会いたいにんぎょひめは、魔女のところへ行って、自分の声と引き換えに人間の姿になる。
再び王子さまに会えたにんぎょひめだが、残酷な現実が突きつけられる。
王子さまは、命の恩人である、あの美しい娘と結婚するというのだ。
「王子さまを助けたのは、私なのに!」
そう思っても、声が出ないので、王子さまにそれを伝えることはできない。
王子さまと結婚できなければ、泡になって消えてしまうのに。
にんぎょひめは、王子さまの新婚旅行のおともまでさせられて、悲しくて泣いている。
それを見たにんぎょひめのお姉さんたちの計らいで、魔女からもらった短剣で王子さまを刺せば、また人魚に戻れることになるのだが…
にんぎょひめは、それができずに、海へ身を投げる。
が、心のやさしいにんぎょひめは、泡にならず、天使に手を引かれて天に昇っていく。
というお話だ。
王子さまを助けたのは、私なのに!
心の中でそう叫ぶにんぎょひめに、幼い頃の私は、感情移入していたのだと思う。
なんでこの王子はわからないんだ!
しかし、気を失っていたので、王子が気付けないのもわからなくはない。
問題は、美しい娘の方だ。
当時の私は、
この女は、自分が命の恩人ではないとわかっているのに、命の恩人のふりをして、王子と結婚しようとしている
と思った。
それはあくまでも、にんぎょひめが海の中から王子を救い出したことを知っている読者視点でしかないのだが、
当時の私は、そこまで考えられてはいなかった。
ついでに、挿絵が問題だ。
王子から結婚相手として紹介される時のこの娘の表情が、なんとも言えないイヤな女に見えたのだ。
今でも覚えている。黄緑色のドレスを着た、あの女。
にんぎょひめに紹介されるにあたって、自分が王子の婚約者であることの優越感に浸っているようなあの表情。
あくまでも、当時の私の感想だが。とても悪い女に見えた。
最終的に、にんぎょひめは死んでしまうのだ。
この話をきっかけに、いい人のふりをして、自分に都合の良いように周囲の人間を騙すことへの嫌悪感が、私の中に植え付けられたのかもしれない。
なんてことだ。きっかけが絵本で、しかも私の勘違いで余計な嫌悪感が増している。
インナーチャイルドを慰めるのは、大変そうだ。
あれは勘違いだったんだよ、あの女は知らなかっただけで、別に命の恩人のふりをしていたわけではなかったんだよ、
と言ったところで意味はない。
その嫌悪感は、持っていてもいいものなんだよ、
と言うのも意味がない。
このまま持ち続けると支障をきたしそうだ。
あまりにも幼い頃の記憶で、同じような場面をたくさん見て積み重ねてしまったこともあり、この嫌悪感は大きくなりすぎている。
これがあるから「仮面を被ることで、自分も誰かを騙しているかもしれない」ということへの嫌悪感も強いのだと思う。
元が勘違いだったことで、余計に「自分にはそのつもりがなくても、他人からは騙しているように見えるかもしれない」という思いも強くなる始末だ。
困ったものだ。
内なる私にかける言葉は、これから探していきたいと思う。
そして、もう一つ気付いたことがある。
「思いは、言葉にしないと伝わらない」という感覚も、この絵本がきっかけで私の中に根付いたのかもしれない。
しかも、「言葉にせず、思いを閉じ込めたままにしておくと、悲しい結末を迎える」というおまけ付きで。
だから私は、できるだけ、言葉を尽くして、伝えようとするのかもしれない。

